2017年02月06日

最後

最後を迎えるのはどこがいいか。
動物も人間も、生まれるのも死んでいくのも、大好きな人たちに囲まれながらが一番いい。

残念ながら、治療の甲斐なく亡くなる動物たちがいる。
病気や怪我から助けるためにこの仕事をやっているが、無力感を感じることはどうしてもある。
そんな時、ついつい考えるのは最後を迎える動物たちの心のこと。

病院が嫌いな子は多い。
注射や治療で痛い思いや苦しい思いをするからだろうと思うけど、診察台の上でブルブル震える子は多い。
そんな嫌なところに治療のためだと入院させられて、彼らはどんなに心細く、不安で、怯えているだろう。

看護師さんたちが笑顔で、優しく、名前を呼びながら一生懸命面倒を見てくれる。
中にはすごく信頼してくれて尻尾をブンブン振ってくれる子もいる。
頭をよしよしと撫でて、顔をきれいにしてあげる。

最近はすごく高齢な動物たちも多い。
懸命に治療するがどうしても力足りず、もう亡くなってしまうかもしれない時、できるだけお家で過ごしてもらうよう、飼い主さんにはその子とできるだけゆっくり過ごしてもらうようお願いする。
でも、治療は最後まで諦めたくない。
少しでもいい治療、楽になるなら、体調が良くなるならしてあげたい。
そのために考え付いたのが日中は病院で治療して、夜は家族と一緒に過ごしてもらうこと。
半分入院で半分通院。

飼い主さんは現実を受け入れられないことも多いが、悲しいかな長くこの仕事をしてるともう難しそうだなとか、最後はこんな感じになるな、ということが何となく分かるようになる。
最後をできるだけ安心して、大好きな人たちに囲まれて迎えられるよう、静かに穏やかに迎えられるよう心がける。
治療して治せればそれに越したことはないけど、どうしてもかなわない時にはそんなことを考えるようにしている。

自分がそうだったら、やっぱり家族に囲まれていたいから。
家族がニコニコ笑って過ごしている隣で、自分もニコニコしながら最後を迎えたいから。
その子にとって、治療はできなくても心を穏やかに、幸せにしてあげることはできると思う。
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2017年02月03日

プロの獣医になる、ということ

プロフェッショナルとはどういう状態だろうかと考えてみた。
プロの獣医とは?

なんとなくだけれど、技術が素晴らしくできる獣医というイメージがあった。
だけれど、ただ単に技術が素晴らしければプロフェッショナルと言えるだろうか?
プロはお客さんが呼べて初めてプロフェッショナルではないだろうか?

体操で金メダルを取った選手がアマチュアからプロになると言った。
同じように、陸上の選手もプロになった。
イチローがプロであるのは間違いない事実であるが、彼がプロとして最高クラスなのはその技術はもちろん世界トップクラスだろうが、大事なことは彼のプレーを見てお金を払ってくれるお客さんが大勢いるということに他ならない。

大勢の人に求めていただくこと。そしてそのニーズにきちんと答えられること。
この二点がプロである大切なことであり、技術はその手段である。

求めていただけないのであれば、その時点でもうプロとは言えない。
プロの獣医であるために、何をすべきなのかを考えることが大切だと思うし、そういった教育を大学でもきちんと受けて卒業してくることが必須だと思う。

これは臨床歴30年の自分にも言えること。
初心忘るべからず。
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2017年02月02日

常識と非常識

業界の常識は世間の非常識という。
先日も、ある方にそう言われたのを思い出した。

動物病院で、獣医師が10名前後所属していたり、CTがあったり、病院の大きさがウチくらいだったりするのはそう多くはないけど、それほど珍しくもない。
ところがその方は、こんな病院見たことない、と目を丸くして言われる。
まあお世辞の範疇なのかなと思い、業界ではそれほど珍しくはないですよ、と言うと先の言葉を言われた。

そこにいれば当たり前、そんなに珍しくはないと思っていても、一般の方からみればとんでもなかったりすることがある。
だから、自分の立場だけで話をしてると、相手に伝わらなかったり勘違いが起きたり、相手の気持ちがわからなかったりすることが起きるのだろう。

相手の気持ちになって考える、相手が何を求めているのか、どうして欲しいのかを考える時、自分が常識だと思っていたことが実は相手にとっては非常識なことかも?と考えることが必要なのかもしれない。
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2017年02月01日

痛いの嫌い

腹腔鏡と同じように低侵襲な治療に内視鏡があります。
内視鏡と言うとピンと来ないかもしれませんが、いわゆる胃カメラというやつですね。
胃カメラは凄い機械で、お腹を切らないで胃や腸の中を観察できるものです。

私も人間ドックの時に何回か胃カメラ飲んだことがありますが、あれは結構辛い。
でも動物の場合は完全に麻酔をかけて検査するので、本人は全く辛くありません。
麻酔から覚めればケロっとしていますね。

内視鏡を最初に考えた人は凄い発想だと思う。
腹腔鏡もそうだけど、切らずにお腹の中や胃や腸の中を見たり、処置したりできるのは普通じゃ思いつかないんじゃないだろうか?
今、私たちはその恩恵を普通に受けれることができるけど、昔はそんな機械もなかったわけだから大変だったでしょうね。
何かあればすぐにお腹を切られて、本当は切らなくても処置したり検査できるのに、そこに到達するために痛い思いをする。

先日もスポンジを飲み込んでしまった猫ちゃんがいて、運良くお腹を切らずに摘出できましたが、そういった技術がこの世になければその子もお腹を切られていたわけです。
お腹を切られることは痛いですよね。
胸を切られるのはもっと痛いと思います。
肋骨をギリギリ開かれて、時には肋骨が折れてしまうこともあるそうです。

そこを乗り切らなければ手術ができないわけだから仕方ないといえば仕方ないけれど、安全に痛くなく同じことができるんであれば、自分だったらそちらを選ぶでしょうね。
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2017年01月31日

クールな時間

ジャンプするには溜めが必要だ。
足を伸ばしたままでは飛ぶことができない。
段の上に上がりたいばかりでは、思いは叶わない。

ずっと動いてばかりでは同じところをグルグル回るしかない。
時には休息が必要だ。
休息は休みではなく準備の時間。

木を切る8時間のうち、6時間は斧を研ぐ時間に使うという。
手術は、その準備でほぼ全てが決まるという。
実は飛んでる時間、伸びてる時間よりもその準備の時間の方が大事なんじゃないか?
よく考えたら、飛んでる時間はわずかで、準備の時間の方がはるかに長いんじゃないか?

飛んでる時間はワクワクしてるし、あっという間だから記憶に強く残る。
準備の時間は地道だし、そんなにパッとしないし、進展がない気がする。
でも逆転の発想から考えて、この準備期間こそが次へのステップへ踏み出す一番楽しい時間なんじゃないか?

遠足に行く前日の、あの楽しくいろいろ思いが広がる時間。
年末の、新年が始まる前のあのソワソワ感。
旅行へ行くにしても、いろいろ考えてる時がそういえば一番充実してるかも。

準備の時って何も変わらない気がするけれど…
混沌とした時間がただただ流れてるだけのような気がするけれど…
これから到達する世界の対極にあって、二度と味わえない最高にクールな時間なのかもね。
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2017年01月29日

人と動物が、子供たちが安心して暮らせる社会を創る

WHY、HOW、WHATの話で気がついた。
「究極の一次診療」「究極のかかりつけ病院」はWHYではなくHOWだ。
では、私のWHYは?

WHY
私は何をすべきなのか?
その根底にある信念は?
そもそも私はなんのために病院を立ち上げたのか?

今回のことで自分なりに出した答え、それは「人と動物が、子供たちが安心して暮らせる社会を創る」ということ。
みんな動物が大好き、癒してくれる。
子供たちにとってペットは一番の親友。
私には「動物を幸せにする」という高い高い目標があった。
ちょっとやそっとでへこたれてる場合ではなかった。

HOW
そのためには何をするのか。
この信念に生命を吹き込むには何ができるか。
私がやれること、私にしかできないこと。

今やっていることを現状に満足せず、挑戦していこう。
みんなで最高の病院を創っていこう。
院長一人では小さな小さなちからでも、みんなに協力してもらってやっと夢を叶えることができる。
飼い主さんの安心や動物たちの健康のために「究極の一次診療」を提供する。
りんごの樹を「究極のかかりつけ病院」にする。

思えば、今まで子供の頃から動物を飼ったことがなかった。
20歳で亡くなったヒメちゃんがはじめての子だった。
物心ついた時には、家でおばあちゃんがニワトリを飼っていた。

父は養鶏場をやってて、小学校の低学年から手伝わされてた。
田舎だから野良猫が家のなかにしょっちゅう入ってきていて、納屋で子猫を産んだりしてた。
周りに動物がいるのが当たり前で、生活に溶け込んでた。
子供心に犬を飼いたいとうっすら覚えているけれど、当時、野犬が鶏を襲うからと父に反対された。

だから自分が動物を病院に連れて行った経験がない。
動物病院のイメージもない。
けれど自分がペットを連れていく時、こんな病院だったら、こんな獣医だったらいいな、嫌だなというのはある。
安心できる、信頼できるなというのはある。

自分が何年か前に肺の病気になった時、その時の若い医者はとても頼りになった。今でも覚えている。
あの時、彼が一生懸命私の話を聞いてくれて、待ってる患者さんがまだたくさん居るのに、もうこれ以上聞くことはないというところまで時間をかけてくれた。
それで自分でも踏ん切りがついたし、こいつなら任せられると腹を決めた。

家内が胆石で救急にかかった時、受付係と医師がおしゃべりしてて暇そうなのにちっとも呼ばれず、とても腹が立った。
自分が健康診断で内視鏡の検査を受けた時、担当医が挨拶もせず物のように扱われてすごく嫌だった。
子供が大火傷を負って皮膚移植をしなければならないかもと言われ、車椅子で転院して帰りには歩いて帰ってきた。
結局移植も必要とせず医療の質の差、情報の大切さ、考え方の違いによって患者が泣きをみるということも経験した。
医者のどうでもよいプライド、患者にとっては邪魔なだけの派閥や考え方、本当に必要な医療が自分の意思で行えない不自由さ。

だから、こんな動物病院を創りたい、こんな病院だったら自分もかかりたい、大切な友人にも紹介したいという理想は高い。
こんな獣医でありたい、患者から必要とされ、頼られる人でありたいという思いも強い。
そのハードルを越える病院を創りたい。
そのイメージが「究極のかかりつけ病院」だ。
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2017年01月25日

Why?

今、「WHYから始めよ!」という本を読んでいる。
とても面白い本で、サイモン・シネックさんという方が著者。
講演動画サイト「TED」で広く知られるようになったという。

リーダーが伝える時には話の順番が大切。
その順序とは、What(ものの説明)から話すのではなくWhy(目的や考え)から始める、というもの。
話をするときにはついつい、これはどういう物ですよ、こういうことですよ、と説明したくなる。
でもそういうことに人は心を動かされれず、なぜそれをやるのか、心はどこにあるのか、を始めに伝えるとその考えに共鳴できれば人は心を動かされ協力をしてくれる。

以前このブログにも載せたが、テレビのセールスマンがお客に商品を売る時に、
この新型テレビは4Kで黒が綺麗で素晴らしくクッキリ見えますよ、という機能の説明ではなく、このテレビだとこんなステキな未来が待っていますよ、というマインドに訴える話とよく似ている。

相手にとってみれば機能だとか性能はどうでもよく(あまり重要でないし、よくわからないし)、こんなことをしたいんですよ、こんなことを考えてるんですよ的な話の方が、脳のコアの部分に突き刺さる。

始めは純粋無垢で夢を叶えるために始めた仕事も、年をとって合理的にそろばんをはじくようになるとついついWhatの話になってしまう。
現実的なWhatは魅力が少ない。
Whyには夢を感じ、未来を感じ、ワクワク感がある。
リーダーは夢を語りたいものだ。

こんなことをしたい、こう生きたい、こう展開したい。
そういった信条とか価値観に共感を覚えてくれる仲間と一緒に未来を創造していけたら最高。
もうすぐ私も50になる。
リーダーとしての勉強は獣医学の勉強と同じくらい面白いと感じる今日この頃。
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2017年01月24日

血の出ない手術

腹腔鏡手術をなぜ行うのか?
皮膚をほとんど切らずに手術できる腹腔鏡手術は、人間を含めた動物たちを不要な痛みから解放してくれる。

手術の目的は、そこにあるよくない病巣を切除すること。
だが実際には切除するためにそこにたどり着く必要がある。

その道のりは、空間を瞬間移動できない限り切り開いていくしかない。
切り開いて病巣に達し、切除した後はまたもと来た道を縫い合わせて修復する。
この行く道と帰る道は本来手術には関係のないところだ。

だから、少しでも行く道と帰る道を最小限にすることを考える。
人間が目で見るためにはなるべく大きく切開して、皮膚の一番痛いところは無視してガバーっと開く。
大きく開けば開くほど手術の安全度は高まる。

傷が小さければ中が十分に見れないから、だいたいのところで手探りでやるしかない。
手探りで手術されたらどうだろう?
間違ったところを切られたりして…

傷を小さくするために、人間の目に代わる何倍も高性能のカメラのレンズを挿入する。
いまやカメラは4Kの時代に突入した。
人間の目では見えない細かい部分まで見えるようになった。

これはどういうことを意味しているか?

つまり、目で見て手術するよりももっともっと上手に綺麗にできるということ。
よく見えれば、顕微鏡でしか見えなかった細かな毛細血管や神経やリンパ管まで見ることができる。

手術の後に内出血したり、液が染み出てきたり、ジクジクしたりする。
これ、全部手術でリンパ管や毛細血管を引きちぎっているから。
引きちぎろうとしてやっているわけではなく、いままでの手術では目で見えなかった。
手術の後が汚かったり、感染したり、痛かったりするのはこういう理由。

そんなことも全部解決してくれるのが腹腔鏡手術。
腹腔鏡なら血が一滴も出ないレベルの手術ができるようになりました。
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2017年01月17日

私と腹腔鏡手術

先日、私のところで腹腔鏡の設備をいつ導入したのか、を調べる機会があって資料を探してみた。
いつから何年やっているか普段考えたこともなかったが、調べると2008年に導入していた。
今年は2017年。
おお!来年でちょうど丸10年だ!
ちょっと感慨深いものがある。

開業したのが1998年だから、ちょうど開業10年目に導入している。
開業して5年目に東側の今の医局部分を増築し、10年目に北側と西側を大きく広げた。
この時に手術室を新設し、当時としては珍しい腹腔鏡手術に本格対応した手術室を作った。

メーカーの担当者に腹腔鏡手術に必要な手術室の条件を聞いた。
まず、十分な広さがあること。
腹腔鏡手術は多くの器具機材を用いるため、通常よりも大きな手術室が必要になる。
そこでまず設計図を描く時、一番初めに手術室のスペースを取った。
その大きさ5m×7m。
動物病院の手術台1台置く手術室としては相当大きいスペースになった。

次に調光が可能であること。
腹腔鏡は画面モニターを見ながら手術をするために、モニターに集中することと画面に照明が写り込まないようにするため調光ができると良いと言われた。
そこで通常の蛍光灯の他に調光用の電球を天井に埋め込んだ。
手術中は明かりを少し落として、モニターに集中して手術を行う。

3番目に必要な条件は天井から吊り下げ式のモニターがあること。
実はこの吊り下げのアームがたいへん高額だ。
初めて金額を聞いた時は二度聞き返したくらい。
理想を言えば二台の天井吊り下げ式アームが欲しかったが、お金が足りず泣く泣く一台になった。

こうして、理想の腹腔鏡手術室が完成し、私の腹腔鏡生活が始まった。
初めは先輩や人のお医者さんから講義や実習を受け、見よう見まねで始めた腹腔鏡。
最初の手術は今から考えるととても時間がかかったが、それだけ慎重に丁寧にやった覚えがある。

静岡で行われる実習には何度も通い、九州の大学にも通った。
海外の講習にも足を運び、当時の腹腔鏡仲間とは今もお付き合いしている。
研究会にも毎年参加し、模型を使った競技会では賞もいただいた。

学会でも毎年発表し、自分のやってきた手技や考え、これから新しく始める人たちに伝えたいことを発信してきた。
腹腔鏡を初めてちょうど5年が過ぎた頃、恩師の鷲巣先生に岐阜大に呼ばれ、客員教授として腹腔鏡の講義と実習を行うよう依頼された。
腹腔鏡を行う獣医師はまだ全国でも少なく、そのため様々なところで腹腔鏡についての講演をする機会を頂くようになった。

最近は昔からの仲間たちと腹腔鏡のさらなる手技を磨くため、勉強会を設けたりしている。
また、この中部地区でも腹腔鏡を広く普及させていくための研究会を作り、まだまだ人数は少ないが仲間たちと勉強している。
先日も新しく腹腔鏡を導入した病院に技術指導に行ってきた。

こうしてみると、たかだか9年だが、長い長い9年だった。
じゃあこれで十分かといえば、まだまだ全然足りない。
私よりももっともっと情熱を持って、集中力をもって、そして熱い心を燃やして頑張っている仲間がいる。
彼らを見ているともっともっと自分を高める必要があると思うし、うかうかしてるととんでもなく遠いところに行ってしまって、とても追いつけないところまで差がついてしまう。

最近はまたドライボックスを使って毎晩のトレーニングを再開した。
このドライボックス、特注で友人に作ってもらった動物専用の練習機だ。
いままでの人用のんボックスとはやっぱり違う。
新しい感覚で毎日修練している。

外科医はとにかく技術をつけなくてはいけないという。
そのためには毎日の鍛錬、修練が欠かせない。
いろんな刺激を受けて、新しいエネルギーに変えて、次のステージの腹腔鏡外科を開拓したいと思う。
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2017年01月11日

オリジナル

ここのところ、同じような話ばかりで申し訳ないが、それだけ心が響いているということだろう。
でも、せっかく書いたので載せてみる。


同じような話を3回聞いたら、それは何かのメッセージだ。
実は私、スピリチュアル的なことも結構信じてる方で…
だからハワイとかでもパワースポットに興味が出てしまう。

全然違うところから、人から、同じような話がなんども出てくることがある。
ここのところも沢山そういった話が出てきて、なるほどね〜と感心することもしばしば。
信じてても、信じてなくてもどちらでもいいが、そういった事柄に心が反応しているということだ。

昨日も植松電機の植松さんのブログを読んでて感じた。
いろんなところから聞こえてくる。
それは、オンリーワンということ。

世の中に必要とされること。
それは「ほかと違う」こと。
自分だけのオリジナリティを持ちなさい、ということ。

スティーブ・ジョブスがアップルに復帰した時に打った広告、「Think Different」
人と同じではなく、クレイジーでもいい。
世界を変えるのはそういった人たちが、オリジナリティをもって自分にしか出来ないことを突き詰めた結果だ。

力道山が、修行時代に言ったという。
男が人の上に立って成功するには、方法はたった一つしかないぞ。
それは、過去に誰もやったことがないことを一生懸命やることだ。

秋篠宮の眞子さまが、東北大震災の時にボランティアに参加した。
実際に行ってみないとわからない。
今の自分にできることをやってみたい。
今の自分にしか出来ないことをやってみたい。

二番煎じに甘んじることなく、自分たちにしか出来ないこと。
自分たちだからこそ、できること。
果敢にチャレンジして、失敗を恐れることなく向かっていきたい。
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2017年01月09日

ゆめまぼろし

今の自分ができることは何だろうか?
今の自分にしかできないことは何だろうか?

私がこの世に生を受けてきた意味は、なんてちょっと大げさではあるけれど、私にしかできないことがきっとあると思う。
大したことでなくてもいいが、私だからこそできることを考えていきたい。
きっとひとそれぞれ、自分らしさがあるはずだ。

まずは好きなこと、興味のあること。
何が好きかといえば、やはり外科が好きだ。
それも軟部外科。
中でも胆嚢や肝臓には興味が大きい。

腹腔鏡と出会ってさらに加速した。
人の目では到底見ることのできない繊細さで組織を見る。
そこに血管があり、リンパ管があり、胆管がある。
何層にも重なる膜が覆い、生命の神秘をうかがわせる。

今や手術は顕微鏡レベルの細かな操作が可能になり、ほぼ無血で手術できるところまでやってきた。
当然合併症の発生率は低下し、術後の回復も早くなった。
手術そのものが果たして私たちがおこなってよい行為なのか、という問題はさておき、この技術の向上が彼らの生活に役立っていることは間違いないだろう。

整形外科、いわゆる骨折の手術や、神経の手術も非常にやりがいのある仕事だ。
いままさに痛みの極致であるその状態をすぐさまにでも改善することができる。
それが自分の判断で、さあ今から楽にしてあげる、状況に持ってこれる。

幸い獣医になって25年が過ぎた。
私にとっては天職だと思っている。
やりがいもとてつもなく大きいし、患者さんたちからも頼っていただける。
そしてなによりもこの学問は奥が深く、到底一生涯かけても全てを成し遂げることはできない。

こういったことも自分がやる気にならなければ意味がない。
誰かに言われたとか、指示されたとかでは動かない。
そこに人生の意味があるし、やりがいや生き様がある。

この世は全て自分の考えたゆめまぼろしである。
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2017年01月08日

今の自分にできること

先日参加した外科の研究会で、代表の先生がとても印象深い発言をされていた。

経過のいい症例もそうでない症例もあります。
時には非常に苦しみながら、嫌な思いをすることもあります。
上手くいっていても3ヶ月めで突然悪化し、飼い主様の心が折れてしまってそのままになってしまった症例。
3ヶ月頑張ったが改善認められず、突然来院されなくなった症例。
辛い思いをしながら、それでもチャレンジングなオペをやっています。

すごく経験豊富な先生なので、余裕のシャクシャクなのかと思えば「辛い思い」をされているという。
私にはちょっと意外だった。
始めたばかりならともかく、そんなにベテランになってもギリギリの判断をしているのだ。

楽をしようと思えばいくらでもできる。
逃げようと思えばいくらでも逃げられる。
丸投げしようと思えばいくらでも責任逃れできる。

それでもそうしない。
辛い思いをしながら頑張っている。
自分の責任を全うしようとしている。

頑張った先に何があるのか。
単なる自己満足なのかもしれないし、動物たちの未来かもしれない。
でもまあ難しいことはともかく…

今自分にできること、今自分ができることを愚直に頑張るしかない。
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2017年01月06日

お伊勢参り

今年もお正月に伊勢神宮にお参りに行ってきました。
愛知は伊勢神宮まで近いので、ラッキーです。
東京から行こうと思ったら大変ですからね。

式年遷宮の時は凄い人出で、鳥居をくぐったところから並んで待ちましたが、昨年とか今年は本殿のすぐ下の石階段までスムーズに行くことができました。
神聖な気持ちになれる場所ですが、さすがに人出が多いので流されるように進みます。
日を変えてまた来たいですね。

帰りにお札を購入しておかげ横丁で食事しました。
ちょっと奥まったところにあるお店でお豆腐定食を頂きました。
年末年始の疲れた胃に優しい食事です。

今年は酉年で色々な変化がおこる年だそうです。
安定もいいですが、変化も必要ですね。
いい変化、悪い変化、色々あると思いますが、変化に対応して臨機応変に楽しんでいきたいと思います。

伊勢神宮から猿田彦神社に回ってお参りしてきました。
道開きの神様です。
昨年お参りさせていただき、様々な道が開けてきました。
伊勢神宮ほど混んではいませんが、多くの人で賑わっていました。
今年もどんどん道を切り開いていきたいですね。

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2017年01月02日

彼を忘れない

「先生、この子可愛かったでしょ!」

Rくんはずっと闘病で頑張ってきた。
子供の頃はそれほど大病を患う子ではなかったが、10歳の時にたまたま血液検査で異常が見つかった。
それから3年半、毎月診させていただいた。

3年半ずっと調子が良かった。
亡くなる少し前に調子を崩した時も、顔つきはすごく元気。
診察にくる時はいつもすごくおとなしくて…
けれど他のワンちゃんには気が強いらしく、小さな体で吠えかかっていた。
そのギャップが微笑ましく、診察の時はいつもずいぶん我慢してるんだなあと感心していた。

彼は最後の最後まですごく勇敢だった。
泣き叫ぶこともなく、きりりとして、いつも男前だった。
体力が尽きてきて、寝たきりになった時も静かに過ごしていた。
ほんの数日前には目がらんらんと輝いていて、本当に病気なのかしらと思うくらいだったのが、わずか数日で命の灯火がだんだんと小さくなっていくのが手に取るようにわかる。
それまでの毎日の通院を中止し、ご家族と過ごしていただくことにした。

ご家族は数日であったがとても憔悴され、疲れ切っておられた。
私はなすすべもなく、ただただ心配していたが、亡くなったと連絡をいただき、最後にご遺体を綺麗にさせていただいた。
亡くなった後も彼は立派に戦い抜いた姿だった。

この仕事をしていると、すべての子を救えることはできないのはわかっている。
生あるものは必ず亡くなるのは自然の摂理。
そして残されたご家族や私たちはその子のことを思い出しながら毎日を過ごしていく。

最後に言われた飼い主様の言葉が今でも耳に残っている。
本当に可愛い子でした。
そして、とても立派でした。
彼に巡り会えたことは私も幸せでした。
残念ながら新年を迎えることはできませんでしたが、いつまでも彼のことは覚えています。
本当にありがとうございました。


皆様、新年明けましておめでとうございます。
新年らしくないご挨拶とさせていただきましたが、私たちの仕事は常に過去に診させていただいたたくさんの子達の結果として今日があります。
今日という一日を、今年という一年を大切に、しっかりと前を向いて生き抜いていきたいという思いを新たに心に刻むべくこのような文章を書かせていただきました。
本年も、よろしくおねがいいたします。
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2016年12月30日

僕らの責任

そう、彼らは言葉を話すことができないんだ。
僕らがそうしてあげなければ、彼らの意思で何かを選択することはできない。
彼らの全ては僕らが握っている。

ちょっとくらい痛くても我慢できるだろう。
少しの辛抱だから、我慢して。
少しくらい痛くたって痛みに強いでしょう。
そんなに鳴くなんてなんて大げさな。
ブルブル震えちゃって、そんなに怖くないでしょう。
別にとって食われるわけじゃないんだから。
頑張れ、頑張れ。

自分の痛みを訴えることができたらどんなにいいだろう。
自分の怖さを伝えることができたら、叫ぶことができたら、泣きわめくことができたら。
でも、彼らにはそれができない。
黙ってじっと耐えるしかない。

人がもっと気遣ってあげなくちゃ。
考えうる最も痛みの少ない方法を選択してあげなければ。
痛みを、恐れを、怖さを、不安を、僕らがわかってあげなければ。

いらなくなったらポイ捨てだって?
ふざけんじゃない。
かれらの心の痛みををわかってあげてほしい。

心から愛して、心から大切にしてあげてください。
自分たちはそう思ってないかもしれないけれど、彼らはそう思ってる。
心から僕らを愛してくれてる。心から信用してくれている。
だから、よーく触って、よーく観察して、いつもいつも心に留めてあげて。
僕らがなんとかしなけりゃ、彼らは自分ではどうすることもできないんだから。

彼らは命がけで僕らを信用してくれてるんだから。
それに答えてあげてください。
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2016年12月20日

思い込み

思い込まないこと。
いかにもそれが答えのようにみえることでも、思い込んでしまうのは危険である。
「その可能性はゼロではありません」
私の嫌いな言葉だが、ここではちょっと違う意味で使いたい。

何でそれを考えたのか?
レアかもしれませんが、可能性はゼロではありません。
は?である。

レアな事から説明してどうする。
一番可能性の高い事柄から説明すべきである。
まずもってこれが考えられる。ただし…
大切なことはここからだ。

どういうことかというと…

この可能性が非常に高いと思われる。
ただし、その他の可能性もゼロではないから、頭の隅に入れておいて、どうにも筋書き通りに事が運ばないんであれば、そのレアなケースも考えていかなければならない。

順番はまず可能性の高いものから3つ。
それを説明して、その仮説が合っていれば想定通りに治癒する。
想定を外れた場合、思うような反応が得られない場合…

初めの想定が間違っているのか?
想定の疾患に対する治療の強度が足りないのか?
悩むことになる。

だから、初めにレアなケースをルールアウトしておいて、可能性の高い診断をより正確なものにしていくわけだ。
一番初めに除外診断を行っておき、レアなものは最初に省いてしまう。
この方法だと、まず、時間が無駄にならない。
一番初めにそれを除外しておけば、あとは可能性の高い真実に向かってまっしぐらに向かっていけば良い。
反応が出ないときは、その治療を更に強力なものにしていく。
初めにブレがなければ、途中で迷わずにすむ。

初めに除外しないのならば、少なくとも飼い主に
「まずこの仮説に従って治療をしていく」
「仮説が合っていればこの位でこうなるはずである」
「もし、想定どおりにならなければ、その時点で他の疾患を鑑別していく」
という説明はしておくべきだ。

じゃあ、他の疾患がネガティブだったら?
そう、結局また元に戻って初めの疾患の治療をやり直し。
もうちょっと別の薬を使ってみましょう、という泥沼にはまり込む。

だから、一番初めにストーリーを組み立てる必要がある。
ベテランになれば自然と頭に中にそういったストーリーが自然に湧いてくるものだが、ベテランになるまでは常に基本に忠実に除外診断をしていかなければならない。
ルールアウトを繰り返して真実に近づいていく。

一件回り道のようだが、それが最も確実で、お金と時間のかからない方法である。
もう一度…
「絶対にそうだと思っても、そうだと思い込んではいけない。常にわずかでもいいから疑いの目をもって、本当にそうなのか、一つ一つ確認して進んで行く」そういった慎重さが私たちの仕事には大切だと思っている。
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2016年12月18日

愛はあるか?

選択に困った時にどうしたらいいか?
自分だったらこうするだろう、というのはある。
でも、他の人だったら違う選択肢を選ぶかもしれない。
一方ではこういう選択肢があるが、他方ではこういう選択肢も間違いではない、というやつだ。

つまるところ正解が無いので、選んだその人が、その結果をどの様に受け止められるか、だろう。
自分で選んだ選択の結果が現在なわけで、それが一番の最高と考えれば、出てきた結果も受け入れられるはず。
もしあの時、違う道を選んでいれば結果はもっと良かったかもしれない。
そう考え出せばきりがない。

入院させた方がいいか、通院で経過をおった方がいいか。
手術した方がいいか、内科で頑張る方がいいか。
そもそも治療する方がいいか、治療しない方がいいか。

私は治療して治すのが仕事なので、当たり前だがどうやって治そうかと考える。
したがって治すという選択肢の中でものを考えるが、違った立場からすれば治さないという選択肢も当然ありうる。
こんな仕事をしておいて言うのもなんだが、そもそも医療という行為自体が間違ってはいないか?

100%治るのならば頑張る価値はある。
特に急性疾患は治る確率が高い。
だが、慢性になってしまったらどうだろう。
「慢性」というのは治りにくい、治らない、という意味だから、永遠に続くことを意味する。
状態が良ければ長く生きながらえることに幸せはあるだろうが、辛い状態であれば不幸せである。

治る治らないを考えず、この治療法が良い、この方法が勧められる、という単純な?話なら悩むこともないが、
臨床の現場ではどうしたらこの家族が幸せになれるか、無限地獄に陥らずに幸せに暮らせるか…
生きている、生存しているという事だけでなく、幸せに生きているか、苦しみなく生きているかが大切だと思う。

「その治療に愛はあるのかい?」
友人の言葉だが、軽そうでいてなかなか意味深い名言だと思う。
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2016年12月17日

良かれと思って!

良かれと思ってやっていることが、実は相手にとって余計なお世話だったり、チャチャ入れになっていたり、逆にやってもらわない方がよかったりする。
本当に皮肉だと思うが、日常の中でも良く遭遇する。

つい先日も、とあることを決めるのにあたり、担当者がある程度決めて「これでどうでしょう」と言ってきた。
私「う〜ん、ちょっと色がねえ…。こっちの方がいいんじゃない?」
担当「わかりました、それではこっちでやってみます。」

しばらくして、担当が
「そろそろ、これで行こうと思うのですが…」
私「う〜ん、でもこれって結構高いよねえ。もっと安価なのないかな?」
担当「わかりました、それではもうちょっと探してみます」

しばらくして、再び担当
「こんなのはどうでしょうか?」
私「これってちょっと格好悪いねえ。もうちょっとこんなのとか、あんなのとかどうなのかな?」
担当「でもこれだとちょっと値段が高くなるかと思うんですが…」
私「そうだねえ、ちょっといろいろ探してみてくれないかな。やっぱりおしゃれなのがいいよね」
担当「わかりました」

そして担当
「そろそろ決めないと、時間があまりないんですが…」
私「そうそうこの間、あそこの病院でこんなの見てきてねえ。こんなのどうだろう?」
担当「そうですね、それも良いですね。でも…」
私「あのねえ、とりあえずやってみようよ。やってみて修正して、それで駄目ならまた修正すればいいじゃん」
担当「…」

こうやって書き出してみると、なんなんでしょうか私…。
当事者の私は、「その時」は結構一生懸命考えて、あれがいい、これがいいと自分の考えを伝えてるつもりなんですが、こうしてみるとまったく「こまったちゃん」上司です。
自分じゃ分からないんですね。
よかれと思ってやっているんです。

相手からすればたまったもんじゃないですね。
「これいいね!これでやってみよう!」
「いいね!」「すごいね!」
相手を認める言葉…

よかれと思っているけれど、全く相手に取っては良い迷惑。
相手を承認する言葉のひとつもない。
院長たるもの、自分を押さえて相手を認め、スタッフにやりがいを持たせながらその気になってもらい、そこに「面白さ」「楽しさ」を見いだして生き生きと仕事をしてもらいたい、そんな風にいつかは自分もできる日が来るだろう、と反省する出来事でした。

院長道はまだまだ修行のまっただ中です (^_^)
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2016年12月14日

安心感!

良い動物病院の条件は?
良く雑誌なんかに載っていそうなお題であるが、私の考える条件のひとつに安心感がある。
それも夜間や休日の安心感。

今は「おもてなし」ブームでどこもかしこも「おもてなし」。
ホテルや旅館、それにレストランだったら「おもてなし」は大歓迎。
人の病院でもちょっと気の利いたところだと「おもてなし」といわれる。

医療は究極のサービス業だといわれるので、もちろん動物病院にも「おもてなし」の心は大切だ。
だが、その前に大切なのは「安心感」。
安心無くしておもてなしはあり得ない。

動物たちの具合が悪くなるのは、たいていは夜。
昼間に具合が悪くても、ちょっと様子をみる人は案外多い。
夕方くらいにちょっと良くなったかな、と思っていたら夜中になってまた状況が悪くなる。
このまま朝まで待って大丈夫だろうか?
夜間の電話のほとんどがそんな感じだ。

よその病院で普段見てもらってる患者さんからも、同じような事を聞く。
夜になって心配でいつもの病院に電話したがつながらない。
仕方なく、ネットで夜間やっている病院を探してやってきた。

夜間でもとりあえず連絡がつくのはすごく安心だと思う。
それも、普段かかりつけの病院に連絡がつくのが理想的だと思う。
病院によっては夜間救急専門の相談所と契約して、診療後はそちらに自動転送するところもある。

私は、自分が飼い主だったらどんな病院にかかりたいか、といつも考えてきた。
自分だったら、自分のペットの具合が悪くなったらいつもの病院で診てもらいたい。
だから、りんごの樹は夜間も対応している。それも一年中休み無く。

いつもの病院でないと、分からないことはとても多い。
いつもはどんな様子なのか。
持病があれば、どんな病気で今何の薬を飲んでいるのか。
今まで同じような症状があったのか。
昼間に、例えばワクチンを打ったんであれば、何の種類のワクチンを何時頃打ったのか。
いつもの体重はどのくらいで、例えば血液検査をしたとしても、いつもはどのくらいの数値なのか。
などなど。

ここには書ききれないほどの情報がカルテには記載されてる。
いつも診てくれてる先生が不在でも、カルテの情報があれば対処は可能だ。
だから、いつもの病院が開いている、連絡がつく事が大切だ。

りんごの樹では当番の先生達が夜の12時まで待機しててくれる。
病院で待機してたり、自宅で待機してたり。
連絡があればだいたい30分くらいで病院に駆けつけてくれる。
夜の12時以降と日曜の夜間は私が診ている。
私が出張で不在の時は、勤務医の先生が交代で病院を守ってくれている。

矛盾しているようだが、残念ながらりんごの樹は「24時間救急対応」を約束していない。
できるだけいつでも休み無く診ようとはしているが、私も不眠不休で生きられるわけではないので、夜は寝なくてはいけない。しっかり寝て、翌日の診察に備えなくてはいけない。
完全に寝入ってて電話に気がつかないことも、申し訳ないけれど時々ある。
枕元に電話を置いていても、気がつかないくらい疲れ果ててることもある。
だから、24時間救急対応は約束できない。

ということで、勝手を言って申し訳ないが、ペットの調子が悪かったらできるだけ夜12時までには、なるべく早めに連絡して欲しい。
また、日曜とお盆、年末年始はできるだけ診療時間中に連絡して欲しい。
それでも、どうしても真夜中に具合が悪くなることも生きてる限りあると思う。
そんなときは、私が責任をもって、できる限り診させて頂く。

夜間に連絡がつく安心、年中無休で休み無く「ペットの健康と飼い主様の安心」を守りたいと本気で思っている。
りんごの樹に任していれば、いつ何があっても絶対に大丈夫!
皆さんからそう思って頂ければ本望である。

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医療技術の安心感ももちろん大切。先日も人の学会で最先端の医療技術を学んできました!
posted by もとき at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年11月16日

獣医師スケジュール!

獣医師の出勤スケジュールをホームページにアップしました。
今後、予約を取って頂く際の参考にしてもらえればと思います。

トップページと…
スクリーンショット 2016-11-16 9.50.47.png

スタッフ紹介のところ
スクリーンショット 2016-11-16 10.01.46.png

クリックして頂くと、こんな風に出てきます
スクリーンショット 2016-11-16 8.27.47.png

ブックマークに登録されている方は再読み込みして頂ければ最新版のページが出てくると思います。
よろしく、ご活用下さいませ (^^)!
posted by もとき at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記